2013/07/30

recognizing 2.1

recognizing 2の日記に対するリアクションをいただき、以下のような話を紹介してもらった。
 とても面白いニュース記事の引用なのだが、
自分の日記と似たことがらを指摘しているのではないか?とのこと。
これはこれで面白すぎる。自分の話にはこんなに楽しいオチはなかった。。

以下fox newsからの貼り付け


If You Can Raed Tihs, You Msut Be Raelly Smrat 

"Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoatnt tihng is taht the frist and lsat ltteers be at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe."
 
この ぶんょしう は いりぎす のケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげは もじ を にしんき する とき その さしいょ  と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじ の じんばゅん を いかれえて あまりす

2013/07/28

recognizing 2


recognizingの話の続き

「音楽を聞き取れる人、特に和音を聞き取れる人が
 実際に聞き取りをしているときの感覚は
 "聞き取っている" というよりも"知っている"とか"知っていた"、
 みたいな感覚に近いですよ」


に加えて、最近よく口癖のようにお弟子さんに言ってしまうことで、

「音楽ってのは語学みたいなもんですからねぇ」

ってのがある。
なんとなくこれらがリンクしたような気がしたのでメモしようかと思ったのが
このつぶやきの書きはじめだった。

語学のトレーニングでshadowingってやつ?あれが狙っていることそのものなのではないか?と思ったのです。
(シャドーイング : 教材やネイティブの発音をなぞるように自分もいっしょに発音すること )

repeat after meではなくてshadowingを薦める語学の先生ってのはまさしくこの、
聞き取ってるんだか予測してるんだかよくわからん状態になっちゃいなさい
って言ってるんだと思う。

母国語においては、我々は意識してないけど常に心の中でshadowingしているものだと思う。
こんな経験はないか?
知らない土地に行ったとき、知らない固有名詞、地名とか駅名とかって
日本語なのに聞き取れなくないですか?

これってshadowingが追従できなくなった瞬間をあらわしてるんだと思う。

言語においても我々の脳はアイウエオ単位の音を聞き取っているのではなくて、
もっと大きな単位で何かを認識するらしい。

その"アバウトに大きな単位で認識できる能力"というのがおそらく大事なことで
逆に、1音単位で超正確に測定できるコンピュータは言語も音楽も認識できない。

apple  (ǽpl) : りんご

というスペルと日本語訳は私にとってただの知識であり本当の意味ではvocabularyではない可能性がある。
実際の会話では聞き取れない可能性がある。アメリカのアクセントなら聞き取れるがヨーロッパのアクセントでは聞き取れないという可能性もある。
さらに、私のǽplの発音は世界中の誰にでも通じるものではないかもしれない。

つまり"正解"、"正確である"、ってそもそもなんなのさ?ということになりかねない。
あまりに正確で細かい単位で認識対象を定義してしまうと、認識という行為すらできなくなる。
 音声認識のプログラムは学習のアルゴリズムなどを駆使して"正解"の幅を広げる努力をしているに違いない。

私たち人間は、
男性と女性で1オクターブ違うappleの発音を認識できるように、
訓練次第でピアノとギターの音色の違いとか、微妙なテンションノートの 違いを超えてCmajというコードをなんとなく認識できるようになる
どうやらそういう力を生まれ持って授かっているんじゃないかな、と思った。






2013/07/27

recognizing

サイトといっしょに消滅してしまった自分のつぶやきでこんな話があったはず。

「音楽を聞き取れる人、特に和音を聞き取れる人が
 実際に聞き取りをしているときの感覚は
 "聞き取っている" というよりも"知っている"とか"知っていた"、
 みたいな感覚に近いですよ」

という話。  

本当の意味で音程の高低、周波数を感じ取ろう、と意識しているときはマレだと思うのです。

というのは、
かなりのケースで、音楽というのはランダムな組み合わせからは程遠いです。
なぜだかわからないけど平均律12音階を聞いて育った人間という生き物たちは、演奏する側も聞く側も皆けっこう同じ結論に落ち着いているらしいのです。

教科書にマイナーコードと説明されているものを聞かせると人間は"暗い"と感じる。
教科書に書いてあるドミナントからトニックへの経過を聞かせると人間は"安定した"と感じる。
なぜだかわからないけどそういう生き物らしいのだ。

そういう生き物を楽しませるために作った音楽というのは、いざ分析するとかなり規則性があったとしてもおかしくない。っていうか規則性がある。それらに後づけで名前をつけて物事を整理しているのが音楽理論だ。

そのようなものが対象なわけだから、
聞き取っているんだか予測しているんだか本人たちもよくわからない行為をするようになる、
それで当然のような気がする。

もう少し発展した話を本題としてつぶやきたかったのだが、
古い記事の言い訳が長くなってしまったので、またあとで書く。。たぶん。


2013/07/20

accuracy

軽音楽におけるリズムの正確さについて、
以下のように思うようにしている。

「クリックに対して正確な音楽を奏でること = 少なくとも自分には罪がない」
「クリックに対して正確ではない音楽を奏でること = 他人のエネルギーを消費する」

後者について補足すると、
正確でなくてもかっこいい音楽はいっぱい存在する。
音楽的にかっこよくなる可能性を秘めている場合は、共演者に共感してもらい協調してもらう必要がある。共演者から共感を得られないと結局のところかっこよくならない。
ハナから演奏内容がかっこ悪ければ、単に共演者にも聞いてる人にも迷惑がかかっていることにほかならない。
(上記は一人称で話を終わらそうとしている。実際は共演者の協調?助け舟?つられちゃう?いろいろな人間関係が起きている。)

ここで"クリックに対して正確"という表現は"メカニカルにリズムの精度が高い"ということの比喩。だから別にクリックを鳴らすレコーディングに限った話ではない。
軽音楽においては正確さよりもグルーブするかどうかが真に大事なことであるはず。
しかし、団体競技におけるスキルとして"正確さ"は一つの指針かな、と。

2013/07/14

summer time


せんぱぁい、

じぶん、夏は食欲が無くて、

酒しか喉をとおらないっすよ~

(ふたはあいてません)

2013/07/13

much like

ベテランのサックスプレイヤーが少々興奮気味でメールをくれた。
  エンリコ・ピエラヌンチって知ってる?
     (しってるしってる)
  初めて聞いたんだけど、
     (ヨーロッパ好きじゃないと、そんなもんか)
  おまえ、そっくりじゃん!?
     (えっ!?)
  前世とかつながってんじゃねぇの!?
     (。。。。)
まったく意識したことないけど、
「ちょっとぉ、バチがあたるからやめてくださいよぉ」、
と返信。
とかなんとか言いながら、
「でも、もうしばらく待ってください。将来、エンリコより綺麗な音を出しますから」、
とも返信してしまった。

今のところ、幸い、まだバチはあたっていない。
 Enrico Pieranunzi & Marc Johnson - Islas

2013/07/12

ear training

最近知り合ったピアニスト岩倉康浩さん、なんでもリクエストにお応えします形式の演奏をされていたのでキャバレイ出身ピアニストを連想してしまったのだが実際はもっとお若い世代のかただった(失礼)
彼のスクールのblogをペラペラめくっていたら耳コピのコツに関する記事を発見。
自分も聴音に関する相談をうけることが多いのだが、自論を語ってはかえって混乱させたり(汗)
お悩みの人は、まずはきっちりまとまった意見を聞いてみては。。

2013/07/02

old articles forever

古いサイトの古い記事、僕の日記ぜーーんぶデータなくなっちゃったのですが、
今日、ある友人が
「昔の音楽記事の力作は、印刷したハードコピーでまだ持ってますよ。」
 というメールをくれて泣きそうになりました。

たまには真面目なこと書いててほんとよかった(涙)
ところで、だれか僕の渾身のオヤジギャグも印刷してないの!!(叫)