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2013/07/27

recognizing

サイトといっしょに消滅してしまった自分のつぶやきでこんな話があったはず。

「音楽を聞き取れる人、特に和音を聞き取れる人が
 実際に聞き取りをしているときの感覚は
 "聞き取っている" というよりも"知っている"とか"知っていた"、
 みたいな感覚に近いですよ」

という話。  

本当の意味で音程の高低、周波数を感じ取ろう、と意識しているときはマレだと思うのです。

というのは、
かなりのケースで、音楽というのはランダムな組み合わせからは程遠いです。
なぜだかわからないけど平均律12音階を聞いて育った人間という生き物たちは、演奏する側も聞く側も皆けっこう同じ結論に落ち着いているらしいのです。

教科書にマイナーコードと説明されているものを聞かせると人間は"暗い"と感じる。
教科書に書いてあるドミナントからトニックへの経過を聞かせると人間は"安定した"と感じる。
なぜだかわからないけどそういう生き物らしいのだ。

そういう生き物を楽しませるために作った音楽というのは、いざ分析するとかなり規則性があったとしてもおかしくない。っていうか規則性がある。それらに後づけで名前をつけて物事を整理しているのが音楽理論だ。

そのようなものが対象なわけだから、
聞き取っているんだか予測しているんだか本人たちもよくわからない行為をするようになる、
それで当然のような気がする。

もう少し発展した話を本題としてつぶやきたかったのだが、
古い記事の言い訳が長くなってしまったので、またあとで書く。。たぶん。


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